今年6月、EXILEのAKIRAと台湾人女優のリン・チーリンが結婚した。祝福のコメントも多くあれば、「子どもは難しそう」というコメントも。女性の生殖の自由についてあなたはどう考えますか?


6月6日、リン・チーリンはEXILEのパフォーマーAKIRAとの結婚を発表しました。大勢のファンが泣きながら祝福しましたが、「やっとか」「中年女がようやく結婚。後はジョリン・ツァイだな」といったコメントもあります。

44歳のリン・チーリンが「やっと」結婚したことで、様々な女性の婚姻の形をもっと寛容に受け入れるかと思ったら、現実はそうではありませんでした。近頃、双子が欲しいと言ったリン・チーリンは、着床前遺伝診断をするつもりだという記事が出ました。そのため、いつ産むかをめぐり、世論がまた盛り上がりました。

恋人はできたのか?結婚しているのか?卵子凍結しようとしているのか?子どもが欲しいのか?まだ産めるのか?子どもの成長を見守れないのではないか?

いつまでも続く質問から、リン・チーリンが際限なく標的となり続けていることがわかります。女優に対してやじうま根性やおせっかいで質問を投げつけるのではなく、心からの祝福を送る日が来るのでしょうか。

写真|フェイスブック

私のウエストを話題にしないで:女優の体型を常に監視するネチズン

6月に結婚したリン・チーリンは、自宅でも、空港でもカメラに追われていました。しかも写真からお腹を隠しているのではないかと分析され、何を着ても、妊娠している証拠とされてしまいます。例えば、スカートに入れているブラウスがゆったりしているから絶対に妊娠している、あるいは運転手さんが病院に薬を取りに行ったから絶対に子作りしようとしている、などの記事があります。

まるで女優が結婚したら、彼女をめぐる話題は子どもしか残っていないようです。

7月30日の記者会見においても、子どもは何人ほしいか、男の子と女の子どちらがいいのかと聞かれれば、ニュースのコメントに「まだ産める」とからかわれます。

産むか産まないかをめぐり、「腰回りが太ったんじゃないか」、「できているな」と盛り上がるコメントは、有名人に対する好奇心である一方、女性だけが遭遇する評価でもあります。男性がいつ父親になりたいかを気にする人はどれくらいいるでしょうか?

「高齢」が教えてくれたこと:採卵から赤ちゃんを抱っこするまでの全て

有名人の私生活は、常に取り上げられ、評価されてしまいます。2014年、リン・チーリンは卵子凍結手術を受け、9個の卵子を保存しました。女性にとって、「高齢出産」となる年齢を過ぎてから、女から母になる道を選ぶのは、いつでも勇気のいることです。

何年か前に、台湾の女性芸能人ポーリーン・ランは43歳の時に流産してしまい、SNSに流産した気持ちを書き込みました。残念がるコメントもありましたが、「自分で選んだ道だ」という声もありました。この世界は高齢出産する女性に対してはやさしくありません。「高齢出産」に対する社会の認識は、採卵から赤ちゃんを抱っこするまでの一連の出来事すべてが自業自得です。

まず、排卵のための注射をしなければなりません。さらに何回も採卵のための手術を受けなければなりません。吐き気がしたり、腹水が溜まることによる卵巣過剰刺激症候群になる可能性もあります。世間はその結果が気になって注目するけど、この過程を好奇の目でしか見てこないから、私は孤独です、とポーリーン・ランは自分の気持ちを語りました。

45歳で母親に 「子どもの成長を見届けられないかも」と聞かずにはいられない?

医療におけるリスクを除いて、リン・チーリンが妊娠したとしても、45歳になってから母親になるのは遅すぎないか、いい母親になれるのか、先に年老いてしまい子どもの成長を見届けられないのではなど、先のことを心配する人もいます。しかし、男性の場合であれば、父親になるのに遅すぎではないかと疑われることはありません。

中年女性の妊活を振り返ると、ポーリーン・ラン、リウ・ルオイン、リン・チーリン、何人も挙げられます。

2019年の今、中年女性として、卵子凍結から体外受精まで、選択肢はよりどりみどりに見えますが、世論や医学的なリスクから抜けられません。中年女性に、果たして生殖の自由はあるのでしょうか。それは幻想にすぎないのでしょうか。

何か月か前、私たちは子宮頸がんの予防PR大使であったリン・チーリンにインタビューをしました。多くの女の子にとってのロールモデルであることをどう思われますかと聞いたら、彼女は、大したことではない、ただ自分らしく生きるだけ、「人生でせめて何かひとつ、しっかりやり遂げるとしたら、それは自分らしく生きることです」と答えました。

台湾人女性の幼い頃からのアイドルであるリン・チーリンは、美意識、女性のイメージ、キャリアなどの参考でもあります。彼女は自分の道を選んだ、とても勇敢な女性です。

この選択に対し私たちは、コメントすることをやめ、祝福するべきです。