人間関係は興味深いです。誰かとの付き合いやコミュニケーション、すべてがうまくいくわけではありません。もしその中で、自分はいつも誰かの機嫌を取っている方だと意識した人は、ぜひ読んでください。これはあなたのために書いたものです!


カウンセラーの心屋仁之助氏の著作『がんばらない成長論』に、人と人のつながりは、迷惑をかけあったり頼りあったりすることによって成り立っていると書いてあります。迷惑をかけたくない人は、本当は他人の能力を認めたくない傲慢な人ですから迷惑はかけないのですが、そういう人と付き合うのはかなりプレッシャーがかかりますから、かえって「厄介者」だと思われます。

昔の私は迷惑をかけたくない人でしたから、初めてこれを読んだときは、大変驚いて、感心しました。真面目で責任感があるように見えましたが、心の奥では、「他人なんか必要ない」というイメージをつくりたくて、あるいは「怒らせるより、自分でやった方が楽」と傲慢に思っているだけだと、本当はわかっています。そのため「迷惑をかけたくない人は、そもそも厄介者」という一句は、まるで頂門の一針でした。その後深く反省しました。

その後、カウンセリングをしているときも、「機嫌を取ろうとする人とは付き合いにくい」ということに気づきました。

このような考えは常識外れなものですよね。満面の笑みで、何も断らないように、機嫌を取ろうとするのに、付き合いにくいわけがないでしょう。そんな人がイヤな人というはずがないでしょう。初めは訳が分からなかったのですが、周りの人の多くは「ゴマすり」で、家族の機嫌を取ろうとしたり、同僚の顔色を伺ったり、人間関係で損していたりしますが、そういう人たちの人気のなさを見ると、それは本当のことだと分かりました。

「機嫌取りに困っている」と、私にこっそり言う人もいます。いつも自分より他人を優先して、腹を割って時間をかけたけど、「恩知らず」扱いされてしまうといいます。しかし、彼らが人といるのを見ると驚きました。機嫌を取っているという人たちは、態度が悪い、冷たいはおろか、文句や悪口を言ったりしながらも、全く自覚がありませんでした。

どんな盲点があったせいで、「機嫌を取ろうとしているのに、付き合いにくい人になってしまう」のかと、その後考えてみて、微妙なことに気づきました。「ゴマすり」は、「対人的」と「対事的」の2つに分かれています。両方とも自分を犠牲にし機嫌を取ろうとする間に、さらに強い逆効果をもたらしました。それに気づかなかったことが、「機嫌を取ろうとしているのに、ますます寂しくなっていく」というギャップを招きます。

写真|pixabay

「対人的ゴマすり」の盲点:機嫌は取るが、やるべきことができていない

こちらの方が理解しやすいです。人の機嫌を必死に取ろうとして、例えば社交に時間を多く割いたり、ごちそうしたり、おつかいしたりしますが、やるべきことがきちんとできていない挙句、周りを腹立たせます。

私の周りにもそんな人がいます。大学のクラブに、明らかに「対人的ゴマすり」である人がいて、一人ぼっちになる度、誰かに話しかけます。話している集団があったら、話さずに笑うだけでもいいから、とにかく絶対に混ざりこみます。イベントがあれば、真っ先に手伝いに来ます。機材運びからお金の徴収まで、リーダーもやります。

このような熱心な人は、みんなに好かれるはずですが、残念なことに、そうではありませんでした。熱心は熱心ですが、やることはめちゃくちゃです。任されたことに穴をあけたせいで、皆が尻ぬぐいをしなければならないとか、お金の徴収をしっかり記録できず、自分で払わなければならない、といったはめになります。後始末してあげた人たちは、誰もがムカっとなりますが、彼が満面の笑みで謝るのを見ると、若くてしおらしいから、みんな叱ることもできません。代わりに、その人と距離を置きます。

しかし「対人的ゴマすり」は、わざとやっているわけではありません。余裕をもってやり遂げて、みんなを喜ばせたくない人はいないでしょう。みんなが離れていくのが怖くて、断ることができず、人の機嫌を取ろうとする間に、能力の範囲外のことを引き受けます。その結果、やることはめちゃくちゃ、周りも巻き込んでしまうので、みんなに好かれていないのも仕方のないことです。彼らのことを残念に思うときもあります。必死に走り回っているより、最初から自分を優先して、役割だけを果たした方がマシです。

「対人的ゴマすり」に一言:「本物の好きは、機嫌を取るのではなく、人から頼りになると思われることから生まれるもの」

写真|pixabay

「対事的ゴマすり」の盲点:色々なことをやるが、みんなの文句を言う

「対事的ゴマすり」は比較的ギャップのある人です。いつも他人を優先したり人の心配をしたりして、やることは山ほどあります。彼らがやっていること自体は正しく、「いい人」ですが、彼らはいつも焦りながら怒っているように見えます。友達は皆いつも求めるばかりで、いくらやっても足りない、みんな恩知らずだと、苦情を言います。一方的な話を聞くと、彼らは何か地獄にでも生きているように思います。

しかし、彼らの日常、親友や恋人などといるときを覗いてみれば、びっくりします。彼らは誰にでも文句を言うし、いつも不意に皮肉な言葉を2つ3つ言い出して、みんなに逃げる暇を与えずに怒らせます。それで皆が「恩知らず」になるわけです。目上の人の中にこういう人は結構います。例えば、家族揃ってヘルシーで温かい食事をするのを望んでいるお母さん。週末に早く起きて、昼まで汗をかきながら頑張ってご飯を作りますが、食卓の息子に「昨日遅くまで起きていたから、起こしても起きない」とか、旦那さんに「新聞を読むのをやめて。子どもが携帯をいじるのはあなたのせいよ」とか、ブツブツ言います。

そして何が起きるかというと、茶碗を放っておくか、しかめっ面で2、3口だけ食べて行ってしまいます。ここでお母さんは、朝からの努力がパーになったと思い、「朝からがんばって作ったのに感謝もしないなんて、なんなのその態度は」と怒鳴ります。悲劇に見える結末ですが、理解できないわけでもありません。

「対事的ゴマすり」たちは、こんなにとげとげしくなりたいわけではありません。多くの責任を義務にしてしまうのが彼らの盲点です。良かれと思っているのですが、心の中の怨みや、不公平に思う気持ちを消化できないため、仕事を終わらせると同時に、人を傷つけてしまうのはおろか、少しの愛をもらうこともできません。いいところがあるのは分かっていても、リスクを負って、ハリネズミを抱こうとする人はいないからです。

「対事的ゴマすり」に一言:人の面倒を見るのに費やす力を自分に移そう。そうすれば愛されるのに値する人になれる。

自分のことを、対事的または対人的ゴマすりだと思うでしょうか。実は、自分らしく生きている人でも、たまにゴマすりに見えることもあれば、「ハーフ」タイプの人もいます。

今ゴマすりになっているかもしれない、と気づいたときには、上で述べた一言を思い出して、盲点から脱却して、可愛らしい自分を取り戻しましょう:)