幸せになる第1歩は、他人が幸せにしてくれるのを期待すぎないこと。ネガティブに聞こえるかもしれませんが、幸せは自分で作るものだと思ったほうが、自分らしくいられるのです。


柚子甜さま

私の結婚生活をお話ししたいと思います。

結婚する前、今の夫と向こうの家族とうまく付き合っていたつもりでしたが、それは深く理解していない、勝手な勘違いだったようです。結婚後、夫と1週間に5回くらいしょっちゅうケンカする生活が3年間つづいて、心が疲れ、身体も壊しました。生活が乱れたり、太ったり、顔色が悪くなったりしてしまいました。義理家族との仲が悪くなったことから、自分を閉じ込めるような性格になり、他人とふれあいたくなくて、いつも何もかもから逃げています。

義母と義父に会わなかったら文句を言われずにすむのに、といつも考えています。文句を言われるのが怖くて、不平不満の気持ちでいっぱいで、ちゃんと扱われていないからイヤに思って、義理家族なんか大キライで、怒りを全部夫にぶつけます。彼の無力さのせいで、いじめにあっても黙らざるを得ません。私を愛してくれる実家に心配をかけたくないから、たとえおかしくなりそうだとしても何も言えずにいて、平気なフリをします。これが私の欲しかった生活なのかと自分に問いかけましたが、やはり違うと思います。

結婚する前の私に戻りたいのです。よく笑う、友達がたくさんいる、言いたいことを言う、集まりに行くのが大好きな私に戻りたいのです。夫のことをまだ愛しているのかと考えてみましたが、どうやらこの3年間のいろいろで、愛がすり減ってしまいました。とはいえ、離婚する勇気がないから、この窮地から逃げ出せず、我慢して毎日を過ごします。

子どもが欲しいけど、友達からもう若くないからよく考えろと言われ、夫も経済的に養えないから今は作らないと言って、先延ばししすぎて子どもがいる未来が見えなくなりました。夫との共通点、価値観、友達との付き合いに対する感覚、やり方などもすれ違いつつあります。

うつ病になっているのではないかと心配していますが、今は自分の生活を変えようと頑張っています。結婚生活も、義理家族も仕事も散々だから、トレーニングを生活の柱にし、毎日ジムに通っています。運動しているときはとても楽しいです。少なくともめちゃくちゃなことが私を困らせてきませんし、疲れて家に帰ったらすぐ寝られますから。自分のために変化をもたらしたいのです。せめて、結婚する前の自信がある自分に戻り、引っ越すか離婚するか、とにかく義理家族から出たいのです。

P(仮名)より

(仮名でシェアすることに同意しています)


人生においての遭遇は綿密な網のようで、順調満帆な人生を送っていた人も、どこかの狭い道で行き詰まるかもしれません。

若いときは失敗を気にしない人でしたが、年を取るにつれて、気にしないことがだんだんむずかしくなりました。考えることが多すぎて、すでに取り込みすぎて、やり直すチャンスはわずかだから、ためらってしまいました。

この手紙は、人生の網につかまったあなた宛てに送ります。あなたが生まれ変わる道を拓くことができますように。

写真|Pixabay

親愛なるPへ

最近、≪幸せじゃなくてもいい≫という本を読みました。著者はドイツの心理学者ですが、〈幸せへの岐路:パートナーと家族編〉で、ユニークな見方を取り上げました。それは「パートナーから幸せを求めるな」ということです。

それを読んで驚きました。パートナーが幸せにしてくれることを期待しないなら、悲しませることを期待するのでしょうか?でも、続きを読んだら、著者の意味がわかってきました。それは、「幸せ」をくれる人として相手を見ないということです。「高い期待」は重いプレッシャーにつながり、失望をもたらします。「幸せにしてくれるべきだ」と期待しないほうが、2人の関係が停滞せず、お互いがありのままでいられます。

その本には、「子ども」は「幸せにしてくれる」という期待を負わされやすいということも書いてありました。結婚生活が上手くいかないと、「子どもがいればよかった」「そうすれば生活の柱ができる」「夫婦関係がよくなるのでは?」と考えがちですが、残念ながら、そのような「幸せ」は儚いもので、しかも必ず得られるとも限りません。むしろ時間や、空間、精神的に奪い取られることで、ますます疲れたり、関係が悪化したり、育て方の違いで軋轢を生じてしまうこともあります。期待を背負う子どもがどれほど苦しいかということについては、言うまでもありません。

私は著者の見方に同意します。「勇気を出して苦しい関係から離れるのだ」とよく言いますが、「合わない」あるいは「離れる勇気がない」という2つから選ぼうとする前に、少しもがく余地があるかもしれません。「期待しすぎるのをやめたらどう変わるんだろう?」と考えてみてください。

不幸せ度=期待値+努力値

「不幸せ」と「期待」との関係を明確にするために、この公式を使ってみましょう。

いい嫁、いい妻、いい社員になろうと一生懸命に努力したのに、目上の人が嫌がらせをしてくる、夫は逃げっぱなし、同僚も意地が悪い、そのせいで手も足も出せなくて、無力感を覚えます。こんな状況に対して、もういいよと、それなら私も自分の人生を生きて、やるべきことだけして、ほかはもう知らないと「ほうっておく」人がいるでしょう。

ほうっておいたほうがいいのかはまず置いておいて、少なくとも「期待」と「努力」が減りました。期待が減ると、やさしくされた時にはお得だと思い、たとえ自分への扱いが悪くてもあまり気にせず、節約できたエネルギーは好きなことをすることに使い、理想の生活を送ることができます。欲求が減ると、あまり怒らなくなり、「不幸せ度」も減ります。

しかし、ほうっておかず、いっそうがんばる人もいます。気に入ってもらえないのは、きっと自分に何かが足りないからだと考え、顔色を伺い、たくさんのことをして、がむしゃらに機嫌をとるようになります。しかし、いくら頑張っても他人から100点をつけてもらえないと気づいた時にはすでに無駄な努力をしすぎていて、「期待値」も高く上がり、「不幸せ度」も収拾がつかないところまで上昇します。

そうなると、相手が少し変わったとしても、気が済まないほどイライラに狂ってしまい、何を見ても気に入りません。そして「いくら頑張っても好かれない」ことで、長く自己嫌悪に苛まれてしまいます。そのあげく、自分のための時間と元気を確保できないので、勇気と自信をなくし、自分を助ける気力も失ってしまいます。

親愛なるPよ、運動することで、残りわずかの気力で、少しでも自分を守れたことに嬉しく思います。

ここまで来たら、できることはあと1つです。それは、もう頑張らないことです。せめて人の機嫌をとるために頑張らないでください。

確かにはじめは難しいかもしれませんが、「努力値」を減らせば、「期待値」は減り、それでいろいろなことを見極めることができます。例えば、目上の人があなたをキライなのは、あなたの仕事ぶりに関係なく、ただ誰に対しても支配欲が強いだけだとか、夫は夫はケンカを避けるのに慣れただけで実は他の形で埋め合わせしようと頑張っているのだとか、あるいは自分と同じように家を出たいと思っているのかもしれません。さらに、見せかけるのをやめて、助けを求めてみると、家族はあなたに多くの力を与え、少なくともストレスの発散口になって、あなたを孤独から守ってくれることに気づくでしょう。

頑張りすぎをやめて「期待値」を減らすのは、否定的なことではなく「セルフケア」なのです。

写真|Pixabay

「不満ばかりが溜まるところにいてめそめそしないで」と言いたいのですが、誰もがすぐに切り捨てられるわけではないし、結婚生活に力を尽くしてきたならなおさらでしょう。セルフケアは、緩衝材のようなもので、自分と他人に無理を強いないための精神的スペースを作ってくれます。それによって、自分と他人に無理をさせず、誰かに幸せにしてもらうことを望まず、自分が他人を満足させることを期待させないようになります。

他人の責任はその人自身に負ってもらいましょう。みんなの気持ちと不機嫌さをあなたが背負う必要はありません。台風の目の中で感じるのは、「幸せ」か「苦しみ」かの両極端ではなく、「静寂さ」なのです。そこで育てた勇気は、残って新しい生活をつくる、あるいは離れて新しい人生を始めるという選択をしようとするあなたの背中をおしてくれます。

交換日記の最後に、この言葉をあなたに送ります。「どの選択もいい選択だ。機嫌をとらない人には常に選択権があるから。」

同じく機嫌をとらない試みを実践している

柚子甜より