『凪のお暇』は台湾でも話題になりました。周りの目を気にして、言いたいことを言わず、したくないことをしていますか?衝突が起こらないのはいいですが、それで幸せになれるとは限りません。


28歳の大島凪は普通の OL で、会社ではお人好しで、空気を読むのが得意です。

写真|凪のお暇より

上司が間違いのあるパンフレットをもって責任者は誰だと聞いたら、気まずいと思った凪は「申し訳ありません、すぐ直します」と、自ら罪をかぶったり、仕事が終わる前に、同僚が約束があって急いでいる、あるいは骨折したおばあさんの面倒を見なければならないなどの理由をつけて、代わりにやってもらえないかとお願いしたら、凪はそれを受け入れます。

空気を読みすぎたせいで、凪は息ができなくなりそうでした。彼女にとって息をつづける理由はたった1つ。それは大好きな彼氏と結婚することでした。しかし、彼氏が同僚に、付き合いをつづける理由はただ体の相性がいいからと言ったのを聞いた途端、凪はその場で気を失って病院に運ばれました。目が覚めたら、凪は仕事をやめて、ふとんだけを背負い、自転車に乗って新しいアパートへやってきました。

写真|凪のお暇より

新しい自分になりたい。空気を読むのはもうやめる。

自分らしく生きようと決めるのはそれほど容易いことではありません。彼氏からの、すべてを変えられるわけがないという一言は、変えようとしている途中で聞こえてくる疑念と心の中の恐怖のようです。

他人と違う道を歩むのは、自分の思うようにならないことの方が多いでしょう。しかし、他人から変な目で見られるより、自分らしく生きられないのは、もっと息苦しいことです。

写真|凪のお暇より

変な目で見られたくないのは、自分も他人のことをそう見ているから

すべてを置き去りにして、新しい場所に来たら、何かが変わると思ったら、図書館で自分の新しい生活を考えていた凪は急に悩みはじめました。

28歳で独身、しかも無職の私に何が残っているのか?勢いで仕事をやめて、貯蓄を使い切ったらどうしよう?死ぬまで1人ぼっちでアパートで過ごし、誰も気にかけてくれないまま結局飛び降り自殺するのか?

凪はもっとも悲惨な可能性をいろいろ考えました。それらは全部、人にどう思われるのかに基づいた可能性でした。しかし凪自身も、そのように周りの人を見ています。たとえば、同じアパートに住んでいるおばあさんはいつも道端のゴミを拾ったり、自動販売機の下の誰も拾わない小銭を拾ったり、誰も食べたくない食パンのミミを買ったりするから、きっと暗くて汚いところに住んでいるんだろう。お隣さんは入れ墨を入れていて、タバコを吸っているし、夜にパーティーも開くから、たぶんドラッグを使っているんじゃないか、と考えています。

写真|凪のお暇より

写真|凪のお暇より

何が良くて、何が悪いのか、世間は決まった基準で人の成功や失敗を決めます。成功は、自分の家や車を持っていて、いい仕事をしていて、パートナーと子どもがいるということ。いい子というのは、髪がキレイで、タバコも吸わないし、言い返しもしない、優等生のことです。その基準に合っていない人はみんな「ふつうじゃない人間」なのです。

だから私たちは、警戒しながらルールを守り、少しでもルールを破ってしまえば、他人が決めた基準で自分を非難します。

自分らしく生きると言いながら、自分の基準で他人を計ってしまいます。私たちも凪のように、先入観でおばあさんとお隣さんを見ているかもしれません。人から批判を受けて慌てて言い返すとき、自分も他人の目が気になっていて、同じ目で他人を見ているのだということを忘れてしまっているのです。

《凪のお暇》は、他人の目を気にせず、自分に目を向け、心の声に耳を傾けることを促すドラマだと多くの人は言います。しかし、私は偏見を捨てるためのドラマだと解釈しています。

世界はあなたがどう生きるかにかかわらず、レッテルを貼りつづけるのだ

《凪のお暇》でもっとも自由に生きるのは、アパートに住んでいるおばあさんです。

機会があっておばあさんの家に入ることになった凪が、ゴミが積もっていないのはおろか、部屋はキレイであたたかいことに気づきました。心地いいラウンジチェアがあって、壁に映画《ローマの休日》が映し出されています。おばあさんが拾ったゴミが再利用されています。食パンのミミにチョコレートとナッツをつけて、おいしいチョコ棒になりました。おばあさんは自分の世界で、自分らしい生活を送っています。

写真|凪のお暇より

私たちのことを他人がどう思うかは簡単に変えられません。いつも外でゴミを拾っているおばあさんのように、あなたがやったこと、言ったことの一つ一つが人に誤解されてしまうかもしれません。

落ち込んで、頑張って説明して、理解してもらえるように努力しても、広い世界にいる全員に分かってもらえるわけではありません。だから、あまり期待しないほうがいいです。だから私たちは、自分を落ち着かせる方法を学びます。世間はわずらわしいですが、自分がしっかりと立つことができるなら、心地いいソファやふとんのような逃げ場を持っているのと同じように、外にいる人にどう非難されたり動揺させられたりしても迷いません。

それは自分自身にしっかりとした土台があって、同じところに立っていられるからです。

違う道を選んだら、そこに少しの痛みが伴うことは避けられません。自分の行動を悔やんで自分を責めたり、ハッピーエンディングはテレビの中だけなのではないかと疑心暗鬼になったりすることもあるでしょう。あらゆる悲惨な末路が脳裏にちらつくでしょうし、他人の心ない言動にもたびたび遭遇するでしょう。しかし、あなたはこのことに気づくはずです。疑念に満ちた他人の視線はあなたを息苦しくさせますが、自分らしく生きられないほうがずっと息苦しいということを。

これは、ほかの人と違う道であり、自分を取り戻す道でもあります。途中であきらめそうになる自分に、凪のような屈しない勇気をあげましょう。

写真|凪のお暇より