安定した結婚生活を営むには、1人でも生きていけるという覚悟を決めないといけません。夫婦はお互いを頼るものではないのでしょうか?あなたはどう考えますか?


「釣り合わぬは不縁の基」という言い伝えがありますが、それはかなり理にかなっています。対等ではないということは、実は結婚生活が上手くいかない原因なのです。

とはいえ、今の社会でそのような関係を築くのも容易いことではありません。そもそも人は「違い」に惹かれてしまう生き物ですもの!というわけで、頭の中ですっきり整理していることが大事です。

私には頭がすっきりしていない、分担できればそれでいいと思う時期がありました。私に大きな仕事が入ってきたときには、ほかのことは相手に任せればいい、そう思っていました。

しかし、「男性は仕事、女性は家庭」あるいは「女性は仕事、男性は家庭」の結婚生活は、長続きさせるのがだんだん難しくなります。

その理由は、今の私たちが探しているのは、いっしょに「子どもをつくる」相手ではなく、ともに人生を歩むパートナーだからです。

それこそが、私のドイツ人の夫が、大学をやめて私といっしょに台湾で気楽に暮らし、私に頼りながらやりたいことを見つけていってもいいのに、そうしたくない理由なのです。自力で生きることが、彼の母の教えだからです。何かが欲しければ自分の力でそれを手に入れるべきで、何もかも「家族で分け合う」というわけではない、というのが夫の家族の流儀ですが、うちのとは全然違います。

親がお金持ちだからといって、子どもが高級車に乗れるわけではありません。それは子どものお金ではなく、親の財産ですから。それは男女にかかわらず、みんないっしょなのです。

夫の家では、このような話が出ません。

「稼ぐのが夫の役目で、それを使うのが私の役目です。」

「妻は何でもできるから、おれはおむつ替えをしない。」

これはお金の問題ではなくて、価値観の問題です!

写真|Unsplash

「飼われる」のが当たり前だと思い、自分の家族を養えと要求する人(男女とも)に対し「とっとと失せろ」と言ってください。

家事と子育てを押し付けて、パートナーがそれをするのは当たり前だと思い、暇があってもそれをせずに遊びに行く人(男女とも)に対しても、「出ていけ」と言ってください!

人として、男性・女性にかかわらず、パートナーがいてもいなくても、「独身」や「シングルペアレント」のときのように、自分でしっかりと生きていける、そして子どもを育てられるべきです。それができてはじめて、対等な関係を築くことができます。

対等な関係を築けるけど、都合があって暫くそうしないだけだというのがダメだというわけではありませんが、長引かないようお気をつけください。子育てや勉強、転職などでしばらくパートナーに支援してもらうことになるなら、5年間で十分でしょう。働くか、起業するか、何かをしてみてください!

とはいえ、世の中にはどうしようもないことがたくさんあります。たとえば、体の状態によってそういうことができないとか、家族に事故が起きた場合、自立しろとは言いません。しかし、それで何でも要求してもいいというわけではなく、精神的に自立し、違う形で相手を支援するべきです。「こうしてくれるべきだ」という責任とプレッシャーがなければ、愛情は心地よく、本物になります。

あなたを養う義務がある人は誰もいません。たとえあなたが相手の子どもの面倒を見ていても同じです。なぜならその子はあなたの子どもでもありますから。パートナーがいなければ、あなたはそれでも子育てしながら仕事をするのではありませんか?相手はあなたと協力していて、あなたも相手と協力している、そういう助け合いの関係のなかにいるのであって、何もかもが当たり前ではありません。

耳が痛い話かもしれませんが、本当のことです。

「自分自身を養う」や「自分で子育てをする」という心の準備ができていないのであれば、パートナーにそれを押し付けて苦しませないでください。パートナーにはあなたのできない分をする義務がありませんから。相手はあなたと同じく、いっしょに人生を歩むパートナーを求めているのですから。

私の息子と娘にはちゃんと自立して生きてほしいです。もちろん、能力の近い人を見つけて、2人でいっしょに人生を共有してほしいです。

子どもにそのように育ってほしいなら、自分からお手本を見せましょう。