女性は必ず、仕事か家族か、どちらかを選ばなければならないのでしょうか?起業家のKelly(廖家欣)は自身の経験からこう語ります。社会で期待される「成功」の背後には多くの犠牲や諦めがつきものである一方で、「ハッピーパパ・ママ」になることがもっとも成功する教育方法なのだと。


現代の女性はしばしば「自動的に」、家族か仕事かどちらか一つを選びます。

職場で、よくこのような場面を見かけます。一週間出張するキャリアウーマンは、「じゃあ誰が子どもの面倒を見るの?」と聞かれますが、同じことを男性に聞く人はいません。まるで子どもの面倒を見るのは父親の責任ではないようですが、それは「内助の功」という考えがあるからです。

職場で、女性が結婚適齢期になり、妊娠し、子育てするようになれば、優秀な女性たちは、自動的に家族か仕事かを選び始めるのをよく見かけます。この社会は、女性を家庭に閉じ込める傾向があります。そのため男性は、成功者になることを期待されたり、家族を養うために稼ぐ責任を負わされたり、重いプレッシャーをかけられてしまいます。男性の肩にのしかかる責任と社会的期待も重いものです。

社会で期待される「成功」の背後には、犠牲や諦めが多すぎます。女性が働こうとすれば、家事や子育てなどもきちんとできてこそ成功した女性だと、家族と仕事を両立するよう求められます。

このような責任を任されるのは、本当にプレッシャーで落ち込みます。仕事には時間と精神力を要しますし、家事だってそうです。「子育ては仕事より疲れる!」女性社員が集まるとよくそういう話をしています。お父さんであろうとお母さんであろうと、子どもの世話を手伝ってくれるおじいちゃん、おばあちゃんであろうと、家族のために頑張ってくれている人に、心から感謝するべきです

家庭で子育てをするべきか。私にとって仕事とは何なのか。

女性起業家である私に最初の子どもが生まれたときは、起業してからちょうど4年目でした。家庭で子育てをするべきかを真剣に考えました。その間「子どもの成長を見守れるのは一回だけよ」、「お金が足りない以外の理由で職場に戻るのは子どもを愛していないこと」といった話をよく耳にしました。果たして働くママは本当にいけないのでしょうか。こう迷っているときに、ベビーシッターによる虐待のニュースを見て、焦って自分を疑わずにはいられませんでした。

そして私は原点に戻って、「ママの役割と仕事は私にとってどのような意味をもつか」を自分に問いかけました。その結果、私は夢を犠牲にしたママこそが「いいママ」であるという縛りから解放されました。ママになっても、情熱を注げるものを見つけること、生活のリズムを保つこと、自分らしく生きていくことは、私にとって必要なことです。人生は一度きり。私は子どもにどんなママを見せたいのか。幸せなママだけが子どもを幸せにできます。親が自分らしく生きることこそ、子どもにとって最高の教育であり、子どもの成長を促すプレゼントだと、私は分かってきました。

写真|筆者より

昔:先生、どうぞ好きにしてください VS. 今:親は学校教育のパートナー

子どもが小学校に上がる1年目、ママたちはきっとうれしい気持ちもある反面、じっとしていられないでしょう。学校はちゃんとついていけるのかな。給食はどうかな。友達はできたのかな。学校とどのように協力できるのかと、いろいろ考えてしまいます。

子どもの勉強と成長への関心を実行するべきだと、子どもの教育にもっと近づくことにしました。加わるのも付き添いの一つだと信じて、学校の保護者会に志願しました。子どもが2人いながら自分の事業を行うと同時に、保護者会に参加し、学校のボランティアもしました。色々やって、時間管理は大変ですが、子どものそばにいたくて、その成長を見守りたいがために、保護者会会長の私は頑張っていました。

初めて子どもと一緒に小学校に行ったその日に、新入生の保護者向けの講演があり、そこで保護者は教育のパートナー、つまり「PTA(Parent Teacher Association)」という言葉を初めて聞きました。保護者の参与の原則は、「干渉せずに加わる」と、「支配せずに支持する」の二つです。これにとても共感しました。最高の教育パートナーは、実際に行動することと、子どもの勉強と成長に加わることと信じています。

起業家である私は元々忙しいですが、それでも保護者会に参加し、ボランティアをし、自分をさらに忙しくなりました。どうしてそれでもやり続けるのかと言いますと、もちろん好きだからです。他にも、社会に恩返しをしたいと思いますし、きっと報われると信じているからです。

「国家百年の計は教育にあり」といいます。小さい頃、経済的に恵まれていない、あるいは親ががんにかかっている子どものために、奨学金を出した優しい人たちに対して、ありがたく思っていました。知識は正しい判断を下すのに役立つし、多様な見方を与えてくれると信じているので、ずっと子どもの教育のために何かしたかったのです。私は小さい頃から勉強熱心で、事業本部長になった今でも毎日勉強するようにしています。しかし、何も心配せずに勉強に専念することができない子どももいます。そのため、私の子どもが通っている小学校を始めとし、教育に力を入れようと思っていました。

言葉より行動で示す。感謝の心を育てるために、陰でボランティアとして支えているパパやママは多くいることを教えました。

子どもに私のように頑張っているママたちの姿、例えば仕事に忙しいママ、ボランティアをしているママ、自分の夢を叶えられるママ、家族のためにご飯を作っているママ、愛情があふれたママなどを見せることで、社会に報い、人のために何かをするような人に育ってくれるよう期待しています。

ほかの子のママからも支えてもらっていることを理解する

私の家は小学校まで車で5分かかります。車を停めるのに時間がかかるため、ボランティアをする日はいつもより早く起きなければなりません。ある日、うちの子が「ママ、ボランティアをして、お金もらってるの」と聞きました。もらっていないよ。「じゃあ、車を停めるのにお金がいるの」もちろんいるよ。「じゃあもったいないんじゃないの」と、小学校1年のわが子がこう言いました。

ボランティアをする理由を教えるべきだった、と子どもの一言で思い出しました。これを機に、私は「保健室や、図書館などでボランティアをしているパパやママはたくさんいるよ。ほら、クリスマスの演劇発表会、注射や健康診断のときだってそうでしょう。ママと同じように頑張っている人はたくさんいるよ」と言いました。仕事に忙しいママ、ボランティアをしているママ、自分の夢を叶えられるママ、家族のためにご飯を作っているママ、愛情があふれたママなどを見ているうち、社会に報い、人のために何かをするような人になっていくことを期待しています。

写真|筆者より

よりいい自分になるために動き出す

仕事と同じくうまくできるように、完璧なママを目指して、自分にプレッシャーをかけすぎたせいで、何か間違えたり、完璧にはなれないと気づいたときはがっかりします。このような気持ちは自分の心だけでなく、家族の雰囲気にも悪い影響を与え、子どもにもプレッシャーをかけてしまいます。

ある日、お弁当袋を忘れてしまって、すでに学校に着いてうちの子が車を降りてからようやく気づきました。お弁当袋を忘れてしまうなんて、抜けている母親だ、悪い見本を見せちゃったよと、自分を責めたとき、ある本の内容を思い出しました。それは自立心を育てる話です。

宿題、水筒、カバンなどの持ち物の準備は、本当は子どもがやるべきことだったのに、どうして私はやってあげたのか。まだ小学校2年ですが、ママじゃなくて、自分で持つべきだとも言っていませんでした。そう伝えてみたら、ある日うちの子が家を出る前に、「お弁当袋持った?」と自分で確認できるようになりました。

大きくなったねと、まさに感無量でした。私の話をちゃんと聞いてくれたし、自分の責任を果たせるようになりました。責任感があっていいねと、本に書いてあった通り、惜しまずにほめてあげました。一方、親が勉強する場合もあります。お母さんも時々大声で叱ったりするとか、できていないところがあるの、でもお母さんはちゃんと話せるように頑張るからと約束します。私が変わっていくにつれて、うちの子もますます優しくなり、弟に対しても大声で話すこともなくなりました。その結果を見て私はある夜、「お母さん大声で話さなくなった?」と聞いてみました。

うちの子がうなずきました。それは何よりの肯定でした。子どものためにも、自分のためにも、焦らない寛容なママを目指していきます。愛は一生の課題ですもの。