「女でもセックスが好き」とはっきりと言い出すのが難しい今の社会。女性にだって性欲があるのに、どうして自分から欲してはいけないのでしょうか?


Netflix のオリジナルドラマ《全裸監督》が配信されて1週間もしないうちに、すぐに話題を巻き起こしました。物語の背景は1980年代、英語教材のセールスマンだった村西とおるが AV 業界の帝王になった経緯を描いています。

しかし、村西とおるのビジネスにおける戦い方や、クリエイティブで秀逸なベッドテクニック、実話に基づいたこのドラマがいかに描かれるのかといったことよりも、最初から堂々として落ち着いている AV 女優、黒木香のことが気になります。

長い髪に揺れるイヤリング、真っ赤な唇、そして意味深な微笑み。国立大学出身の彼女の言動は、その一つ一つが育ちの良さを表しています。抑圧的な時代に生きる女性は、どうしたらワキ毛を見せたり、性欲に素直になってセックスをするのが好きだと表明できるのでしょうか?性を恐れるか、それとも受け入れるかで迷い苦しんだことはないのでしょうか?

写真|Youtube より

家庭に性教育がないなら、快楽とは何なのかを自分で自分に教えるしかない

黒木香(本名:佐原恵美)は幼いころから母に厳しく育てられてきました。潔癖な母は彼女に物質的なものは何でも与えますが、性への関心は絶対禁止。黒木香は西洋絵画を習い、裸の男を描きますが、その絵を母に破られました。母は彼女にずっと純粋な天使でいてほしいのでしょうが、彼女は自分の体が成長していることを感じます。胸が大きくなり、下が濡れて、人の体への関心が高まりつつあります。

彼女の中で何かがうごめいているのを感じましたが、その正体はまだわかりません。

1人の女の子として、たとえ2019年の台湾に生きているとしても、黒木香の成長の経験を見ると彼女に自分を重ねるでしょう。思春期の女の子は、コンドームについて聞きたいけど叱られたり、恋人と泊まりたいけど家族に怒られたりします。

多くの家庭での性教育はまだ、台湾の小説《房思琪の初恋の楽園》の言う通りのままです。「家は何でも教えるけど、性教育だけがないんだよね」

お母さんは驚いた様子で主人公を見て答えました「性教育?性教育は性を欲しがる人のためのものよ。教育ってそういうものでしょう?」

大人たちは、私たちに性なんていらないと思っているから、私たちは自分でこっそりとするしかありません。母に気づかれないように風呂場でオナニーしたり、エロ動画サイトを見てから閲覧履歴を削除したり、同じく思春期の友達といっしょに体を探り合ったりします。実はあのころの私たちは、彼氏や、恋愛関係などの具体的なものがほしいとか、めちゃくちゃセックスしたいわけではなく、ただ自分の体を知ろうとしていただけです。

「愛の前に体の関係」というパターンは男性にしか存在しないと多くの人は思いますが、実は女性もそうです。体の中からのひそかな声は私たちに伝えてきます。まだ愛とは言えないけど、性的な信号がそこにあることを。

写真|Youtube より

自由で汚らしい自分を生きたいのです。どうしたらいいですか?

黒木香の人生は、村西とおるの名刺をもらってから大きく変わりました。思春期の到来の早い女の子と、エロで世界を変えたい男。新しい名前「黒木香」は、中学のころの聖書の授業の先生の名前で、伝統的な性観念へのからかいを意味するものです。

「君みたいなね、まじめなお嬢さんがね、いられるとこじゃないのよ。」「出演させてほしいんです、アダルトビデオに」

「イタリアに留学したくって、その資金集めのために。それと、本当の自分でいたくなったから。自由で、奔放で、もしかすると汚らしい自分です。ありのままを生きたいんです。どうしたらいいですか。」

女性として、性を恐れるか、それとも受け入れるか、迷った経験が誰にでもあるでしょう。体と性を理解することで力が湧いてくるのは確かですが、一方で私たちは、変な目で見られてしまうんじゃないかとか、自分から性を求めて傷ついてしまったとしたら、それを声に出す資格があるのかなどと心配します。

「覚悟のない欲望ってつまらないと思うわ」と、黒木香が男のクラスメイトに言いました。彼女が言いたいのは、性は面白いだけではなく、大きな代価があるのです。性欲を抱くのは、自分が楽しければそれでいいわけではなく、強い覚悟がなければいけません。女性の場合だとなおさらです。

撮影現場で服を脱ぎ、ワキ毛を見せた瞬間、彼女の顔にはためらいと恥ずかしさがありました。彼女は私たちの代わりに問いかけます。これは既成の秩序に挑む、自分の生き場を確かめるための、小さいけど身体的な政治行動なのです。

もし私が、このような「汚らしい」女の子だったら、この世界は私を受け入れてくれるのでしょうか?私は私自身を受け入れてもいいでしょうか?

写真|Youtube より

「わたくしのテーマは愛でございます」

借金をかえすため家族に強いられたり、海外留学のために資金を集めたかったり、高級カバンを買いたかったりするわけではないなら、どうして AV 女優になってアダルトビデオに出演するのかというのは、ポルノ産業の解けない謎でしょう。

人気になった彼女はテレビ番組に出はじめました。おおげさな言動と若い美しさとの強いコントラストがみんなに好かれる理由であり、見下される原因でもあります。彼女はいやらしいとからかわれて、くだらないと思われて、声を消されたりもしました。

「皆さんよかったね、今日はエッチなお姉さんが生で見れて」「若干この辺りが大きくなっちゃったりして」現場で男の人が話すのを聞いて、彼女の顔が曇りました。

世間はただ下ネタを話す、セックスしか考えない美人が見たくて、本当に彼女のことを受け入れたわけではないということを、彼女は分かっています。彼女の言うことは笑い話だとしか思われていないし、彼女の体はただの物体で、ワキ毛もまだ笑いものにされています。

写真|Youtube より

上野千鶴子は《女ぎらい ニッポンのミソジニー》で、1997年の東電 OL 殺人事件を分析しました。年収1千万円の東京電力の女性幹部社員が夜に1回5千円の値段で売春を行っていることが、日本社会にショックを与えました。彼女がそうする理由を考えつかないからです。

今の社会では、性のアイデンティティは、個人のアイデンティティに結びつきつつあります。そして、個人のアイデンティティは社会的な期待に基づくものです。

上野氏から見れば、これは単なるセックスの自由や自己実現といったロマン主義的なことというよりも、日本社会における「聖女」と「娼婦」の二項対立が原因です。婚姻にふさわしい「善い女」と、遊ぶための「悪い女」、この2つからどちらか1つを選ばなければなりません。たとえそのどちらでもなくても、女性はどちらかを選んで演技するしかありません。なぜなら、そうすることがこの女ぎらいの社会で生きていくすべだからです。

「わたくしのテーマは愛でございます。そして愛とは自然の受容でございます。ですから、ワキ毛を生やしているのもわたくしの主張の1つなのでございます。ええ、いかがでございましょうか。ありがとうございます」その場にいた男の何人かが彼女のワキを見てぎこちなく笑いましたが、黒木香は気にするようには見えませんでした。

「わたくしのテーマは愛でございます」ということばは冗談のように聞こえますが、とても心に響くものです。AV出演の面接時に抱えていた緊張感がなくなり、いろいろ気にしなくなった彼女のこの言葉は、いろいろ経験してもがいたからこそ得た結論であり、社会と自分への答えでもあります。

黒木香が教えてくれたこと:聖女と娼婦は二項対立ではない

上野氏は「聖女か娼婦か、どちらもが女性に対する圧迫と他人化だ」と書いています。聖女は娼婦と思われるのを拒みますが、娼婦は聖女のことを弱いと批判します。女性をダブルスタンダードの2種類に分ける分割統治をとおして、結局利益を得たのは家父長制なのです。

写真|Youtube より

インターネットやインタビューで黒木香のことを読んでみてください。彼女だってこれまでずっと揺るぎない信念があったわけではないことがわかるでしょう。スクリーンの中で輝いていて、自信をもって「わたくしのテーマは愛でございます」と言う女の子は、これからも、たくさんの怒りや悲しみ、無力さに遭遇するでしょう。

性を恐れるかそれとも受け入れるか、自分らしく生きるか言われた通りに生きるか、といった二項対立の間に、数えきれない答えがあると私は信じています。

黒木香は、女性としての迷いや、もがき、そして決心を見せました。聖女と娼婦の二項対立は、当たり前でありつづけるべきではありません。母として、OL、アイドル、AV 女優、娘、女性としても、この二項対立を越えて、ありのままを生きることができる日が来るよう願っています。