トラブルに陥っているお姫様を救いにきた王子様というパターンを見ると、女性は自分でなんとかできるのにとか、女性だって強いんだぞと、不満に思いませんか?


映画館を出たら、感想を話し合うことで自分の考えを整理できるため、私は2人の小さい子どもに1番感動したシーンはどこ?と聞きました。息子は「アラジンが3つ目の願いをジーニーにあげたところ」と答えました。多くの観客と同じく結末を予想するのが大好きなお母さんである私は、もちろんやさしいアラジンは最後にジーニーに願いを譲ることを知っていましたが、やはりこの最後のシーンを見ると、涙が出そうになるほど感動しました。その瞬間から、小さくて経験の少ない子どもたちでも私のように感動するのかと気になっていました。映画を見終わって昼ごはんを食べているとき、私と夫は彼の答えから、息子が私たちと同じく愛を感じたことがわかりました。

あなたもジーニーを自由にする願いをかけられるのか

私がアラジンだったら、ジーニーを自由にする願いをかけられるのかと考えてみました。映画の中のアラジンは自分でも食べていけない、ものを盗んで生きる少年なのに、ナツメヤシ1袋を自分より貧しい子どもに分けたり、ジーニーが自由になりたい、自分になりたいと知って3つ目の願いをジーニーにあげたりするような、やさしくて助けを惜しまない少年です。ジーニーは、数千年以来、そう願った主人は1人もいなかったと言いました。確かに、そう願うのは人間性をためす行為です。人間はみんな利己的なのか、子どもたちは映画からそれぞれ違う答えを見つけるでしょう。

写真|インスタグラム

ディズニーのプリンセスたちは、お妃だけでなく、女王や国の指導者にだってなれる

子どもに、1番感動したシーンは同じだけど、お母さんはもう1つのシーン、ジャスミンのお父さんの話に感動したと話しました。ジャスミンのお父さんは、ジャスミンの母を失ったように、娘を失うのが怖いから、1人では何もできない女の子のように育ててきました。しかし、勇気と力を持つ女の子に育って、国を治められるような知恵と能力の持ち主になったことに気づいていなかったとジャスミンに話しました。私は子どもに、ジャスミンはスルタン、つまり王さまとなったと子どもに言うと、「女の子でも王さまになれるの?!」と驚きました。「そうだよ」と、ディズニーのプリンセスたちはお妃だけではなく、女王、国の指導者にだってなれることを教えました。そもそも国の指導者や企業の最高責任者になれるかどうかに、性別は関係ありません。しかし、小さい頃から親、あるいは親である私たちが話してきた物語の中では、王様はみんな男性で、女性はみんなお姫様でした。それではまるで、女性は補助的なキャラクターにしかなれないみたいです。小さい頃から親しんできたこれらのおとぎ話に潜むステレオタイプは深刻で、女性の成長、つまり成功した人間になり、自分を叶えることを妨げ、自由を奪います。

《アラジン》の1番の見どころは、個性的で、自立した、自分を叶えたジャスミン

ジャスミンが、王子様と結婚しなくても、スルタンの座を継いで王国と民を守れる、小さい頃からたくさんの本を読んできたのはその日のためだと父に話すシーンがあります。ジャスミンがよく地図を見ながら国をどう治めるのかを考えるシーンも見られます。外の世界に憧れているジャスミンは、城に閉じ込められたままのただの姫でいたくないし、法律に従って王子と結婚したくもありません。ジャスミンの思いを知った私は、ディズニーの映画にそんな展開があるとは!と驚きました。個性的で、自立していて、自分を叶える、夢を追う勇気のあるジャスミンは、今回の《アラジン》の1番の見どころだと思います。映画館に入る前は、ただ子どもをディズニーの映画を見に連れていくというだけでしたが、見終わった私は立ち上がって拍手してしまいそうでした。それは、ディズニーがやっと具体的な変化をとげたのを見たからです。助けられるのを望んでいる姫の前に王子があらわれ、そして王子は王様になるという、子どものころから親しんできたお決まりの展開がなくなったからです。27年を経て、ディズニーの姫はようやく女王になれました。勇気をもって夢を追う、自立した新しい時代の女性像になれたのです。今まで姫は常に「かわいくて、従順で、助けられるのを望む」ように描かれ、男性キャラクターは常にヒーロー主義に洗脳されていて、泣いてはいけない、弱さを見せてはいけない、積極的に前に進んで成功した人間にならなければならない、金と権力を手に入れれば姫と結婚できて王になれると教えられてきました。

写真|『アラジン』より

悲しいときは泣いていい

もし子どもたちが多様で平等な社会の雰囲気のなかで育ち、この新しいバージョンの《アラジン》のような話がこれから増えていけば、世界中の男女にのしかかるステレオタイプとプレッシャーは少なくなるのでしょうか。例えば、泣くのは弱い人と思われているため、男の子は勇敢になるべきで泣いてはいけないと期待されています。上の世代の人は泣いている男の子を見かけたら、すぐ慰めることはせず、むしろ「勇敢になりなさい、もう泣くな。恥ずかしいよ」と言います。社会化とステレオタイプはどのように子どもの心をつくったり、影響を与えたりするのでしょうか。子どもが転んだり、おもちゃを奪われたり、うらみを抱えたり、ケンカして傷ついたりして大声で泣き出したとき、以前の私は「泣かないで」と慰めていましたが、男の子の育て方に関する1冊の本を読んでから考えを変えました。男の子でも、女の子でも、ギュッと抱きしめてそばにいてあげて、泣き止まない子どもに「大丈夫、悲しいなら泣いていいよ」と言うべきです。初めてこう言ったとき、2歳の息子が急に落ちついたのが印象的でした。きっと、どうして「泣かないで」じゃなくて「泣いていいよ」と言うの?とおかしく思ったのかもしれません。泣くことは、弱さの象徴ではなく、ただの気持ちの表現にすぎません。

「本当の自分」で付き合うのを怖がらなくていい

人生において、自分の弱さや不完全さを受け入れてくれる人がいたら、私たちは強いふりをしなくてもいいし、完璧でいようとしなくてもいい、常にいい人でいる必要もありません。そんな不完全な自分を受け入れてくれる人を、あなたは心から大事にして愛するでしょう。子どもたちが将来このようなパートナーを見つけて、自信を高め、「本当の自分」で付き合うのを怖がらないというのは、どれほど素晴らしいでしょう。アラジンがお金持ちの王子に見せかけたのは、そうしなければ姫に受け入れてもらえないと思っていたからです。自分を責める内なる声が大きくなるにもかかわらず、王子のフリをし続けましたが、美しくて賢いジャスミンが本当に好きなのは実は、あのやさしくて、助けを惜しまないアラジンなのです。

私たちにどんな願いも叶えられるランプは必要でしょうか?そのランプは、人生の近道を与えてくれます。できないことは、誰かに好きになってもらうようにする、なくなった人を甦らせるの2つだけ。私はよく、成功と人生に近道はないと言っています。あなたの周りにいる、生まれたときからランプを持っている人を見てうらやましく思うでしょうが、そのような人生のほうがいいとは限りません。ランプを持っている人は、あなたが抱えたくないような違う悩みを抱えているかもしれません。うらやむことより、10年後どのような自分になりたいのかを考えて、それに向かう道を歩むのみです。歩き始めたら、あなたの望む未来への道は開けるでしょう。

おまけ話ですが、1年に1回の台湾大学エンバキャンパスマラソン大会で、クラスメイト全員が白雪姫のコスチュームを着て最後まで走りました。何が1番よかったというと、クラスメイトみんなで勉強も、走るのも、テストも「いっしょに出発、いっしょにゴールする」すばらしい友情でした。私たちは「クリエイティブデザイン賞」と「チームワーク賞」を受賞しました。審査員から「女性だけではなく、男性も白雪姫のかっこうをして元気で自信満々に走ったのはとても素晴らしいと思います」というコメントをもらいました。